精神ぶっ壊れかけてた時の話をしよう
あの頃は、毎日のようにファミマの抹茶ラテを帰り道に買っていた。
帰宅後に飲むそれの味は、イマイチよく分からなくて。
人は疲れると甘いものを欲するってほんとだったんだなぁなんて感じていたのは覚えている。
今からちょうど一年くらい前に、私は前の会社を退職した。
その経緯と、経験から感じたことみたいなものをまとめてみようと思う。
退職を考え出した時期
社会人一年目の頃にはそんなことはほとんど思っていなかったと思う。
よくニュースなどで話題になるような入社数日とか数ヶ月レベルでやめるような人はよっぽどのクズか、会社の方がやばいレベルのブラックか。
そんくらいのものだろう。
どっちにしてもそこまでの多数派ではない(と思いたい)。
一年目はろくに働けない(技量も経験もないため)気まずさとそれをどうにかするため一刻も早く成長しなければという焦りが大部分を占める。
そのためか視界が狭まりやすく、自分のことを冷静に見つめる時間なんてものはなかった。
今考えてみれば一年目の時点で色々と前兆があったのだが、この時の私はそれに気づいていない。
どちらかというと気づくのが怖かったので、目をそらしていたというべきか。
二年目になると自身を取り巻く環境は加速度的に変化していく。
「もう二年目だから」という理由で業務内容が複雑化していき、分からないことやできないことが積み上がりはじめ、
なにか聞きにいけば「今更そんなことを」だの「今までなにやってたの」だのとカウンターが飛んでくる頻度が増えてきて報連相が機能不全を起こしはじめる。
当然自身のミスも増える上によくわからんものに関わることも増えて理不尽に怒られることも少なくなかった。
ここまでは多分誰もが通る道だ。
この辺をどう乗り切るかが多分新社会人の大きな壁になるんじゃなかろうか。
私としてもここからが頑張り時だと気合をいれていきたかったところだが、
現実としてそうはいかなかった。
二年目に入ってからもうすでに私の頭の中には「もう辞めたい」という意思が生まれていたと思う。
退職に至った理由
シンプルに言うと「パワハラ」が一番の原因だった。
複雑な業務内容、不規則な業務時間、残業時間の多さなんかもあったがそんなもんは二の次三の次だ。
このサイトによると、パワハラの定義は
・職場の地位・優位性を利用している
・業務の適正な範囲を超えた指示・命令である
・相手に著しい精神的苦痛を与えたり、その職場環境を害する行為である
の3つが該当するらしい。
私の場合で言うと、1つ目と3つ目が該当するのかな。
暴言。
侮辱。
名誉毀損。
最終的には暴力。
それがほぼ毎日のように続くと人はどうなるか。
まぁ、
割と人間って脆いんですよ。
若い内はなんとかなる、なんていう言葉もあるけどあれは身体的なもんであって、むしろ精神面はまだ成長途中も途中だからむしろ若い内のほうが弱いと私は思うよ。
というか身体的な負担にしても、大丈夫なやつはたまたま大丈夫だっただけで、大丈夫じゃないやつは全然大丈夫じゃないんだけどね。
ストレスがどんどん膨れ上がってくると、人間として自分やばくなってきてるなぁーってのを自覚してくるくらいにはなってくる。
明らかにおかしくなってきてるのが分かるから。
毎朝起きた時、会社に行きたくない、行きたくないそう思いつつも行かなきゃいけない。
そんな毎日に嫌気がさす。
でもだからといって「辞めたい」が「辞める」に変わるわけじゃない。
そこを変えようとすると、
今まで会社に世話になったこと、
数少ないまともな上司に優しくしてもらったこと、
少ないながらも自分が今関わっている仕事やらなんやら、
それら全ての恩や責任をぶん投げて、辞める。
逃げ出すことに対しての後ろめたさ、申し訳無さ。
それを振り切って退職願を上司に差し出す事へのハードルの高さと言ったら、それはそれはとてつもなく高い。
ましてそれを誰かに相談することもできない。
世の中にいる大多数の人間はそういう人間に対して優しくないからだ。
それは友達であろうと、家族であろうと。
この「ぶっ壊れかけている」もしくは「本当にぶっ壊れたことのある」人の痛みを知っている人間はとても少ない。いや多かったら困るけど。
そして、それを知らなくとも、その誰かのために親身になって歩み寄ってくれる人なんてごくごく僅かだ。
「それはお前が悪い」
「もうちょっとだけ頑張ってみたら」
「そんなのは気の持ちようだ」
「辛いのは今だけだよ」
「そういうのは甘えだ」
「みんな辛いのはいっしょだろ」
本当に辛いときにこういう言葉をぶつけられた時の絶望感とダメージ。
今でもよく思い出せる。
この社会を取り巻く雰囲気は今にも壊れそうな弱者に対して、驚くほどに残酷だ。
本当にぶっ壊れてしまうと、もはや辞める気力すら起きないそうだが、幸いにも私は本当に壊れたことはないので、その心情は知らない。知りたくもない。
ただそういう人間に対して、少しばかりの同情と優しさくらいは示せるけど。
退職を決意した時
そんなこんなでハートがブレイクしそうな私の精神的な支えになっていたのはラブライブ!サンシャイン!!だった。
アニメだけではなく、あの1stライブのLVを体験してその世界観と熱量にハマっていた私にとって、
その光り輝く世界と勇気と希望を見せてくれるAqoursの存在、またそのファンの人たちとの交流は正に救いであった。
この頃のハマり方はかなり依存的というか、あんまり健全なものではなかったけどそれでも確かな希望の光だった。
縋るような思いでAqoursを追いかけていたそんな時、忘れもしない二期第12話。
「WATER BLUE NEW WORLD」
この曲があまりにもキレイに私のココロに突き刺さった。
初見のときの頭のてっぺんから足の爪先まで電流が駆け抜けるような、自分の中に強い思いが伝わったような鮮明な感覚。
「あきらめない!」
言うだけでは叶わない
「動け!」
動けば変わるんだと知ったよ
MY NEW WORLD
新しい場所 探すときがきたよ
夢は夢のように過ごすだけじゃなくて
痛みかかえながら求めるものさ
未だかつてこれほどまでに歌詞の一つ一つが突き刺さった曲を私は他に知らない。
この曲をきっかけにして私の「辞めたい」は「変わりたい」になった。
そこから先は自分でもびっくりするくらい事態は急展開を迎えた。
というか、私が起こしたことなのだが。
退職願を提出し、有給休暇を消化した後会社の人間に挨拶回り。
最後に退職届を出してサヨナラバイバイ。
帰り道で買った抹茶ラテは、とても甘くてほろ苦く、美味しかった。
ちなみにAqoursの3rdライブツアー埼玉公演に参加したのはここから転職するまでの無職期間にあたる。
初披露されたWATER BLUE NEW WORLDを見て、ボロクソに泣いて泣いて嗚咽を漏らしもう酷いことになったのは今ではいい思い出だ。
ただこの転職展開は流石に突発的すぎた節があって、実際かなり苦労するはめになったというか割と危ない状況に立たされたりもしたわけだが…。
でも後悔はしていない。
やめたいと思うことは多分誰にでもあると思う。
そう思ったらさっさとやめたほうがいいなんて、無責任なことは言わない。言わないが…
本当にぶっ壊れてしまうと一生その傷は消えないし、
学校と違って会社は自分から行動を起こさない限りは数十年単位の付き合いになる。
つまり何が言いたいかと言うと、もっと自分のことは大事にしたほうがいい。
我慢の限界なんて、認知するころにはとうの昔に超えてしまっている。
その限界を超えているころには、たぶんそれを自覚できないだろうから。
自殺者数がどんどん膨れ上がる中、その中の一人にならないためにも…。
まだ考える余裕が残されているうちに、
動けるチカラがあるうちに、
壊れてからでは、もう遅いから。